コロナウイルスと方丈記

2020年04月09日

 世界中を巻き込んだコロナウイルス感染劇は映画が現実になったようだ。政府はその現実を受け入られずに「緊急事態宣言」後も具体的な施策を出せず、「調整中」を続けている。
 非常事への対応は平時のシミュレーションと心掛けにある。どちらにしても対応の遅れがはっきりしている以上、我々は長期戦の備えをしていくしかいない。弊社も在宅ワークに切り替え、私も自宅に閉じこもっている。

 自室で何気なく手に取って読んだのが鴨長明の「方丈記」である。12世紀の京都の様子の描写の凄さに驚いた。そこは美しい京都でなく生き地獄のような風景であった。その地獄は5つの災厄が書かれていた。
 ・大火
 ・竜巻
 ・飢餓
 ・地震
 ・遷都

 自然災害、火事、飢餓の4つは理解できるが5番目の遷都には思わず笑いが込み上げた。この遷都とはわずか半年で崩れた平清盛の福原遷都を指している。いつの時代も悪政は庶民に「地獄」をもたらすものである。これから数か月後の日本がそうならないことを祈るばかりである。

 もうひとつ気づいたことがある。「疫病」が入っていなかったことだ。12世紀の日本ではまだ「疫病」はそんな大ごとではなかったということか。国際的な人の往来がなく、近代科学が生んだ新しいウイルスも存在していない時代もあったということだ。
 なるほど、科学だ、AIだ、グローバル化だ、などという言葉と会社の価値は時価総額だ、人の価値は収入の大きさだ、などというマネー至上主義の現代社会のほうがずっと野蛮な時代に入り込んでいて、そんな現実にも気がつかずに生かされている人間たちにコロナウイルスは猛省を促してくれているのかもしれない。

 かく言う私も、人の命の大切さと人生のはかなさが染み入る年になった今だからこそ言えることである。4月8日はお釈迦様の生まれた日である。去年、墓じまいをしてから毎朝、仏壇と共同墓地の方向に向かって「南無阿弥陀仏」を10回ずつ、手を合わせて唱えている。心はいつか遠くない時期にあの世にいける時を待っているのかもしれない。
 のんびり読書をしている場合ではない。自分が死んでも会社が継続していくように考えなくてはならない。お客様や社員に迷惑をかけられない。出来る限りの準備をしなくてはいけないと思う今日この頃である。

中島 高英