コロナウイルスと3か月間暮らして

2020年06月09日

 人生において、この3月、4月、5月の間はこんなに真面目かつ真剣に生きたことはなかった。まるで10年間分を3か月間で経験した気分である。そこで考えたことや行動を振り返ってみた。
 自分の中ではまあ仕方ないかというレベルの受け身の気持ちであったものの、世の中の動向に合わせて3月1日から在宅ワーク勤務体制を実施した。
 日を追ってコロナウイルスの実態が分かるにつれて「結構、ヤバい事」が起きていることに気が付いていった。

自分の身が危ない
 3月初めの東京は北海道や大阪に比べてのんびりとしていた。その中で一番言われていたのがコロナウイルスは老人、それも疾病を持つ老人が罹ると生命に危険があるということだった。一番危ないのが自分ではないかと気が付いた。人間ってどんな時も自分の問題にならないと真剣に考えないものだ。ここは素直に従い、夜の外出も止め、手洗いとうがいをすることにした。

死と向き合う
 楽天的な私が今回だけは「自分だけは大丈夫」とは考えなかった。自分が感染したら皆さんにお別れも言えずに死んでしまうと思った。現在もそう思っている。何しろ、高齢、病気持ち、喫煙者の3拍子持っている身であるから。
 What ifもし死が今月やってくるとしたら、どうしたらよいのか深刻かつ真剣に考え抜いた。

終活をはじめる
 身内の人間を送ってきた経験から残され者の大変さを知っている。そこで家の片づけをはじめた。ひとつひとつ思い出がいっぱいあったが何と段ボール10箱分を処理した。この作業に一番時間がかかったが同時に考える時間をもたらしてくれた。

遺書を書きはじめる
 片付け整理をしていると身の回りの人や社会への感謝の気持ちが自然と湧き上がってきた。まるで山の泉のように絶えることなく湧いてきた。遺書を書きはじめた。なかなか難しい。心を文章に表現するということは。いまだ未完成で白い便箋のままである。

やり残したものは何か
 やり残したものは何かと自分に問えば、あれもこもすべて中途半端に食い散らかした状態であることに気づいた。どれもこれも残された時間では達成するのは難しい。次の者たちに託すか捨て去るしかない。次の者たちが拾うか捨てるかはその方々の判断にゆだねるにしても、出来るだけ負担がない形で残したとは思っている。

会社をどうするか
 今年の1月1日に、自分が持っていた会社を合併して新会社として発足した矢先であった。計画通りにはいかないものだ。誰も経験のしたことのないこの事態に、株式を100%持つオーナーとして、代表取締役CEOとしてどう立ち回るか一人で考え決断していかねばならない。と今までの私なら孤独にそうしただろう。
 しかし、今回は、人間として「死」を覚悟しての日常生活であったからこそ、次の世代の取締役3名と一緒に4人で逐次相談して施策を決めていった。結果、経営チームが形成され30年間のワンマン経営がわずか3か月間でチーム経営に変貌できた。

在宅ワークが知的生産性をあげる
 在宅ワークとZOOMのネット会議の成果は、知的生産性が3倍以上に上がることに気づいたことである。通勤と職場からの拘束がなく、一日中自由に時間が使えることによりマイペースで思考に集中できたお陰である。

新しい自分としてスタート
 運よく3か月間生き延びることができた今はウィズコロナ時代を生きるに当たり「死」と向き合う日常を通じて新たな自分として残された時間を大切に淡々と「恩送り」を意識して生きようと思っている。
 終活の時期に前向きに「日日是好日」に送れることはありがたいと思い、すべてのものに感謝しながら時代に立ち向かっている。

中島 高英